mother

守るべきもの

香水①

朝日の中を

桜吹雪が舞っていた。

 

夕べの優しい雨の名残を

身に纏った花びらは

きらきらと美しく輝いている。

 

ここは北海道の小さな街。

 

この街も

この2週間の暖かさで

あっという間に

桜が満開を迎えた。

 

私の家の隣には

小さな公園があった。

 

そこには一本の大きな桜。

 

リビングの窓から

見えるその桜は

春の風に惜しげもなく

可憐なその花びらを散らしている。

 

 

 

それは

日曜の早朝だった。

 

 

「お願い、行かないで。

今日だけは家にいて。お願い……」

 

洗面所に立つ夫

浅見健太郎の背中に

私は思わずそう懇願した。

 

心の中で

膨れ上がった不安の塊から

逃れたい一心で

私は夫にわがままを言ったのだ。

 

私は夫と離れるのが怖かった。

 

健太郎さん、お願い……」

 

しかし

夫はそんな言葉に

こちらを振り返ることもなく

鏡の中の私を一瞥すると

慣れた手つきで

顔に塗ったシェービングクリームを

カミソリで丁寧に拭った。

 

まるで彼の耳には

私の声など届いていないかのよう。

 

夫は淡々と身支度を整えると

一度も私と視線を合わせることなく

玄関先に停めてある車に乗り込んだ。

 

愛用のゴルフバックと共に。

 

 

 

夫が出て行った玄関には

今まで嗅いだこともない

香水のきつい残り香が留まっている。

 

数ヶ月前から

洗面所の引き出しの奥には

今まで見たことも無い香水が

隠すように置かれているのを

私は知っている。

 

大学時代に知り合ってから24年

香水は嫌いと言っていた夫なのに。

 

 

 

二人を遮った

冷たい玄関ドアの前に

立ち尽くす私の目から

ぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。

 

 

 


私、月が
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