mother

守るべきもの

心療内科④

子供達が

それぞれの部屋で

深い眠りについた頃

ようやく夫の車が

家のガレージに入る音がした。

 

「おかえりなさい……。

ご飯食べるでしょ?」

 

「……」

 

私の問いに無言のまま

夫はお風呂場に向かった。

 

夫は入浴をすますと

ビールを片手にソファに座り

録画していた番組を見ようと

テレビをつけた。

 

半年前までは

この時間だけが

唯一ほんのわずかな

夫婦二人だけの時間。

 

昔は

ビールを飲む夫の隣に座り

2人でいろんな話をした。

 

設計事務所のこと

子供達のこと

芸能ネタやご近所さんの話等。

 

友達のいない夫にとって

私が友達のような唯一の話し相手

なんだろうなと私は感じていた。

 

しかしそれは今となってはもう

遙か遠い昔の出来事のよう。

 

ビールを飲む夫が座るソファの横に立ち

私は口を開いた。


「今日ね

会社帰りに心療内科に行って来たの」


「……」


もちろんこんな話

聞きたい話ではないことは

私だってわかっている。

 

でももうどうしても

話さずにはいられなかった。

 

どうして?

どこか悪いのか?

病気じゃないよね?

 

そんな言葉どころか

なんの言葉一つ

夫の口からは出てこなかった。

 

「ねえ、聞いてる?

こんな話いやだろうけど

ちゃんと聞いてほしい……」

 

夫は私の言葉に

眉ひとつ動かさず

ただ一人テレビの画面を

見つめている。

 

「ねえ、健太郎さん……」

 

私の言葉が果たして

夫の耳に届いているのかさえ

もう定かではない。

 

どうしていいのか

分からなくなった私は

思わず床に座り込み

泣いた。

 

いったい私のなにが悪いのか

夫になにが起きたのか

とにかく夫と話がしたい。

 

元通りの夫婦に戻るために

子供達のしあわせを守るために。

 

私はとめどなく溢れ出る涙に

両の手で顔を覆った。

 

「ははははは」

 

その時

夫の笑い声がして私は顔を上げた。

 

夫はテレビの中の

お笑い芸人の会話に

笑ったのだ。

 

まるで目の前で泣く私など

そこには存在しないかのように。

 

もうダメだ。

このままでは私

ほんとにおかしくなってしまう。

 

真っ暗なキッチンに向かうと

私は初めてあの白い粒を

自らの口に入れうずくまる。

 

こんな姿を子供達に

見せるわけにはいかない。

 

どうか私を助けてと

私は心の中で何度も呟いた。

 

暫くして薬が効き始めると

驚くほどに心の中から

不安という感情だけが

フェイドアウトしていく。

 

その代わり今度は

薬を使ったことへの罪悪感が

次第に私の胸を一杯にした。

 

涙が頬をつたい落ちる。

 

さっきまでソファで笑っていた

子供達の顔が浮かんでは消える。

 

リビングからは

夫の笑い声だけが響いてくる。

 

 
 

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