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守るべきもの

香水②

今から24年前。

 

夫は大学の写真サークルの

二つ上の先輩で

私が入学した年の春

新入生歓迎会の席で

たまたま隣に座ったのが

出会いだった。

 

学生達のたまり場の居酒屋で

自己紹介が一巡した後

お酒が入り馬鹿騒ぎを始める仲間達。

 

夫はその輪には入らず

ちょっと距離を置いて

静かに居る佇まいが印象的だった。

 

会話のないまま隣にいることに

耐えられなくなった私が口火を切る。

 

「先輩、私

映画観るの好きなんですけど

先輩は写真以外で趣味ありますか?」

 

「俺も映画観るの好きだよ。

ちなみにお気に入りの映画はなに?」

 

「えっと、ちょっと前に観た

フィールド・オブ・ドリームス……かな」

 

「え?俺それDVD持ってるよ。

あれいいよね。へぇ、そうなんだ」

 

無言の時間を終わらせるため

苦し紛れに振った話だけれど

お互いが同じ映画が好きとわかると

二人の距離が少しだけ縮まったような

気がした。

 

それは健太郎も同じようだった。

 

それから健太郎

たまにレンタルショップ

面白そうな映画を借りてきては

不器用に私に声をかけた。

 

「麗子ちゃん

良かったらまた一緒に観ない?

これ今話題のやつなんだ……」

 

「ありがとうございます。

いいですよ。

ちょうどそれ観たかったんです。

じゃあ講義が終わったら

門のところで4時に」

 

「じゃ俺待ってるから。4時ね」

 

初め

健太郎のアパートに

一人で行くことを迷った。

 

しかし、一度行ってみると

健太郎のいかにも真面目で

奥手なその立ち居振る舞いが

私をすっかり安心させた。

 

サークルでは

無口で目立たない存在の健太郎だが

私との映画の話になると

別人のように饒舌になり

心の中の喜怒哀楽を素直に私に見せた。

 

それがなんだか

信頼されているようで

私はちょっとだけ嬉しかった。

 

 

 

そして二人は一年かけて

少しずつ特別な関係になっていった。

 

夫には私が初めての女性で

私には夫が初めての男性だった。

 

 

 

そして

私の卒業を待って

二人は当たり前のように結婚をし

健太郎の故郷である

この北海道の小さな街に居を構えたのだ。

 

一人っ子である夫は

義父の経営する設計事務所建築士として

私は事務員として働き始めた。

 

それから20年

私たち夫婦は三人の子供を授かり

平凡だが平穏な暮らしを共にしてきた。

 

この春

長男の悠真は高校2年生

長女の美織は中学2年生

次男の健斗は小学6年生。

 

 

 

そんな我が家に

小さな変化が訪れたのは半年ほど前。

 

それは初めはともすれば

見落としてしまいそうな

とても小さなものだった。

 

 

 

 

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香水①

朝日の中を

桜吹雪が舞っていた。

 

夕べの優しい雨の名残を

身に纏った花びらは

きらきらと美しく輝いている。

 

ここは北海道の小さな街。

 

この街も

この2週間の暖かさで

あっという間に

桜が満開を迎えた。

 

私の家の隣には

小さな公園があった。

 

そこには一本の大きな桜。

 

リビングの窓から

見えるその桜は

春の風に惜しげもなく

可憐なその花びらを散らしている。

 

 

 

それは

日曜の早朝だった。

 

 

「お願い、行かないで。

今日だけは家にいて。お願い……」

 

洗面所に立つ夫

浅見健太郎の背中に

私は思わずそう懇願した。

 

心の中で

膨れ上がった不安の塊から

逃れたい一心で

私は夫にわがままを言ったのだ。

 

私は夫と離れるのが怖かった。

 

健太郎さん、お願い……」

 

しかし

夫はそんな言葉に

こちらを振り返ることもなく

鏡の中の私を一瞥すると

慣れた手つきで

顔に塗ったシェービングクリームを

カミソリで丁寧に拭った。

 

まるで彼の耳には

私の声など届いていないかのよう。

 

夫は淡々と身支度を整えると

一度も私と視線を合わせることなく

玄関先に停めてある車に乗り込んだ。

 

愛用のゴルフバックと共に。

 

 

 

夫が出て行った玄関には

今まで嗅いだこともない

香水のきつい残り香が留まっている。

 

数ヶ月前から

洗面所の引き出しの奥には

今まで見たことも無い香水が

隠すように置かれているのを

私は知っている。

 

大学時代に知り合ってから24年

香水は嫌いと言っていた夫なのに。

 

 

 

二人を遮った

冷たい玄関ドアの前に

立ち尽くす私の目から

ぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。

 

 

 


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